浮き葉的余生に

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<<   作成日時 : 2017/08/10 10:46   >>

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没後てふ静かな時間藪からし  美代子

捨て場なき花火抱へて秋に入る    

桐一葉何の音もせぬ別れなり

饒舌な秋の簾を風といふ

日々太る青栗人望厚くして

炎昼のドアを開けたら私がゐて

人間模様だんだん透けてゆく花野



 中日新聞 「この道」から   新藤兼人(映画監督)

 わたしは松華楼でシナリオを描いていた。」「原爆の子」があっちこっちで上映されているとき、わたしは徳田秋声の「縮図」 を書いていた。

 なぜ残暑のきびしい京都にいたかというと、吉村監督が 「欲望」 を撮っていたからだ。「夜明け前」のシナリオはあげたばかりだし、打ち合わせをしなければならないことは山ほどあった。

 わたしは松竹大船時代は箱根湯元の清光園で、独立プロをおこしたころは松華楼の東家で、京都での仕事がつづいたころは松華楼で書いた

 ある日の夕方、乙羽さんから電話がかかってきて、これから訪ねてもいいかと。 どうぞとわたしはいった。「原爆の子」の上映で広島へ挨拶に行って以来会っていなかった。

 夕食をおえたところへ乙羽さんはきた。二時間ばかり乙羽さんはいたが、話は途切れがちだった。仕事場では話が弾んだが、むき合って話すとわたしたちはぎこちなくなった。

 翌日の夜も乙羽さんはきた。吉村組のほかにも乙羽さんは出演しているらしく、豊後家へ帰る途中に寄ったのだ。

 わたしは、乙羽さんがどんな気持ちで訪ねてくるのかわかっていた。 私も乙羽さんから電話がかかってくるのを心まちに待っていたのだ。「原爆の子」 がおわるころ、乙羽さんの心が接近してくるのがわかっていた。

 だが、わたしは、わたしには妻子がいる、復員後、結婚した妻がいる、といいきかせていた。

 乙羽さんに 「どろんこ半世紀」(聞き書き、江守陽弘、朝日新聞社)がある。この本の中にこのときのことが語ってある。亡き人からの無断借用になるがゆるしてもらおう。私と乙羽さんのことは、乙羽さんが独立プロへ飛び込んできたことにも関係があるのだ。


>> 「原爆の子」のあと、大映の仕事で私は京都にいた。晩夏のころで、空はときおり秋の顔を見せたが、むし暑く、けだるい日が続いていたー私の来訪を新藤に伝えに行く女中さんのうしろ姿を見ながら、今夜は帰りたくないと思ったーー京都の夜は最初から最後まで私のほうが積極的だった。新藤は激流に流されまいと、岩肌にしがみついていたのではないか、とすれば、しがみつく手を激流に落としたのは私であるーー世間的には独身の女優と関係を持った妻子持ちの映画監督ということになろうが、正確に表現すれば 「関係を持たされた監督」 といえなくもない。。。<<<

 乙羽さんの文章をひいてわたしは言い訳をしているのではない。わたしは 「愛妻物語」 で亡き妻の面影を乙羽さんに見た。わたしは乙羽さん同様つよく乙羽さんを求めていたのだ。終わり。

 ↑今風に言えば、究極の不倫である。しかも、この後二人は結婚している。新藤監督は、妻子を捨てて乙羽さんを取ったことになるが、その後のお二人の仕事ぶりを見れば、運命の出会いだったのかもしれない。

 結婚してから夫以外の、あるいは妻以外のひとを好きになってしまうことがある。大抵の場合は心の中で想うだけで終わるが、中には、ダブル不倫に陥ってしまうひともいる。しかし、関係をもち行きつくところまで行ってしまえばあとは冷めるのを待つだけではないだろうか。

 その点、心で想い合いながらも何年も会うこともなく終わってしまった場合はどこか悲惨だ。終わりがないのである。結論が出ないのだ。不倫の場合は、どろどろになったり裁判沙汰になったり、果ては離婚が待っていたりする。しかし、それはそれで、それなりの結論が出たということだ。どんな結果であろうと身から出た錆とあきらめもつくのではないか。良くも悪くも燃焼できたということである。

 しかし、相手の死亡により、火を点けることのなかった花火は、実に厄介な存在なのである。消化出来ないものが胃に残っているようなものなのだ。そんな思いを今味わっている。




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